bamboo art: GEN Mitsuhashi________ 竹アート 三橋 玄

想い

consept photo DRAGON

竹は、古来から日本の風土に根付き、生活・文化・芸術の広い場面で用いられ、
神秘的な力を持つと信じられてきた植物です。

しかし、生産の工業化とプラスチックの普及によって竹は見捨てられ、いまや鬱蒼とした竹ヤブが広がっています。

竹は人に伐られることを望んでいます。

人が竹を伐ることで、竹やぶに風が通り、日が差し、竹はのびのびと育ち、美しい竹林が生まれます。

私は竹を伐ることで、自然とともに生きることが可能であることを知りました。
人が自然の恵みを活かしてものを作るとき、自然もまた いきいきと 元氣になる。
人はそんな役目を与えられているのかもしれません。

破壊と汚染の時代産から、調和と共生の世界へ。

その転換の 緒(いとぐち)が竹の中にあるのです。



竹と私


「どうして竹なのか?」と聞かれることがある。

自分がどういうわけでここにいて、こんなことをやっているのか…
理解を超えた「流れ」に翻弄されながら闇雲に生きてきた私に答えるべくもないが、
ひとつだけ言えるのは「竹が自分に合っている」ということだ。

竹は、私が一人で扱うのにちょうどいい。
ノコギリ一本あれば、一人で切り倒し、一人で運び出せる。
普通車の屋根にキャリアをつければ、長さ6mくらいのものは運べる。

チェーンソーも、トラックも、ウィンチも、電話もいらない。
気が向いたときに、すぐに動ける。
人といっしょに動くのが嫌いなわけじゃないが、
いつでも自分一人で山に入って素材をとってこれるというのは、楽だ。

家を建てられるほどの強度とサイズがありながら、
一人で扱える手軽さを持った竹が私の性質に合っているようだ。

   *
初めて竹を切ったとき、
それまで習ったこともなかったはずの、竹の切り方や割り方を、
なぜか自分が知っていることに氣がついて驚いた。

体が知っている、という感じだった。

こうすればうまく切れる、割れる、ということが、竹を見れば解った。
以来、本を読んだり、人の話を聞いたりしながら、
自分の体の感覚を頼りにやってきた。

それは、「風土」なのかもしれない。
竹は、太古の時代から日本の気候の中で育ってきた。
私も、その竹と同じ環境を生きてきた人間の末裔だ。
人は、自分と同じ風土に育つものを扱う術を自然と身につける生き物なのかもしれない。

   *
竹を使って何を作るか、ということについても私は、自分の体に導かれてきた。

私は竹を割って、曲げていく。
決まった幅も長さもない。

竹は、その種類や年齢、切った時期や気候によって性質が異なる。
同じ日に、同じような竹を切っても、厚みや節の間隔が違う。
ひとつとして同じものはない。
私が何万年という時間と、何億という人の活動の集大成であるように、
私の前にある一本の竹もまた、同様の時間と命の結果としてある。

そうである以上、この竹をどの幅に割り、どう曲げればよいか?
その答えはない。

千差万別・一期一会の宇宙に規定はない。
人間の理解を超えた森羅万象に判断を下すことは、私たちの頭脳には不可能だ。

それができるのは私たちの内なる宇宙である「体」だと思う。

自分の短い人生を超えた、不思議な「馴染み」を感じる竹を前にしたとき、
私の体が自然に動く。
自分の意思を超えて、日常を超えて、ある「かたち」が生まれていく。

ひとことで言ってしまえば、「私は何も考えてずにやっている。」ということなのだが、
それを可能にしてくれる素材が身近にあるのは幸せなことだ。
いや、身近にある素材だからこそ、それが可能なのか。

いずれにしても、私の理解を超えた宇宙の成り立ちと、
そのひとつの結果である竹と私の体に感謝したい。



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