ページリスト


studio GEN トップ


自力出産 トップ




わたしたちのお産


自力出産とは?


自然のメカニズム

リラックス

責任

お母さんの準備

お父さんの準備

自力出産に必要なもの

お風呂

照明

飲み物

食べ物

胎脂

へその緒

迷ったら・・・

医療の問題

出生届

自力出産のための本

リンク

主旨と方針


 

 わたしたちのお産  

 このページは、わたしたちの自力出産のドキュメンタリーです。
 実際のお産にも役立つように、時間軸にそって細かいことまで記してあります。
 そのために読みやすくない部分もありますが、わたしたちが感じたこと、学んだこともなるべく織り込んでいます。
 全体が6つの章に分かれていて、下のタイトルから各章に移動できます。

  
      1 お産のはじまり (誕生まで43時間)
      2 準備を確認   (誕生まで30時間)
      3 散歩・風呂・停滞(誕生まで17時間) 
      4 高まり     (誕生まで5時間)
      5 誕生
      6 誕生の後

     1 お産のはじまり(誕生まで43時間)

押し付けた耳を澄ますと、かすかにトクッ トクッ トクッという響きが聴こえてきた。
美和のおなかの奥の方から聴こえてくる、赤ちゃんの心音だった。
心拍数を数えると132/分。正常域内(120〜160)だ。

自分たちで産もうと決めてから、おなかの中の赤ちゃんの様子を知るために心音を聴こうと聴診器を買った。
二人で同時に聴ける二股のやつだ。
美和のおなかに聴診器を当てて何度も試したが、赤ちゃんの心音は捉えられなかった。
聴診器が悪いのかと思ってメーカーに問い合わせて検品したものと交換してもらったが、やはり聴こえなかった。

赤ちゃんの心音が聴こえないまま出産予定日を迎えたが、何も起こらなかった。
お産を待ちながら、ぼくは自宅で家族だけで5人の子を産んだ橋本知亜季の体験記を読んでいた。
その中に、陣痛が始まったとき夫がおなかに耳を当てて「大丈夫、元気な子だ。」という箇所があった。
そうか、直接耳で聴こえるのか、と、さっそく試してみたら・・・聴こえた。

おへそのずっと下の方、下腹部の陰毛の生え際近くから聴こえる音は、かすかではあったがはっきりと規則的に聴こえてきた。
その音は、まるで近づいてくる足音のように、ぼくにお産お始まりを告げているようだった。

それは出産予定日から5日が過ぎた4月24日の朝だった。
その空白となった5日間、ぼくたちはもう一度家の中を掃除し、
お産のための部屋を飾り付け、照明を付け替え、
お産の流れや緊急時の対処をまとめ直し、読んでいなかった本を読み、
毎日3〜4時間の散歩をして、ゆっくりと過ごした。
遅れているという焦りは無く、むしろその5日間がぼくたちに余裕を与えてくれた。
出産予定日は最初に検診を受けた産婦人科医院に「修正」されていた。
最終月経開始日から素直に計算した本来の予定日は、実は25日だった。

役に立たなかった聴診器を放り出して「聴こえた。聴こえた。」とベッドで戯れていたら、「何か出た。」と美和が言った。
それは血の混じった粘液で、「おしるし」と呼ばれるものらしかった。
「おしるし」は子宮口の栓になっている粘膜が外れて排出されるもので、お産の始まりのサインの一つとされている。
ぼくたちが心音を捉えるのを待って子宮と赤ちゃんがお産に向かって動き始めたようだった。


     2 準備を確認 (誕生まで30時間)

とはいえ、陣痛の始まりを美和が感じたのはその日の夜中、もう日付が変わろうとする頃だった。
10〜20秒間の陣痛が、7〜8分の間隔をおいて続いていた。
日本産婦人科学会の定義には「陣痛周期10分、あるいは陣痛頻度1時間6回をもって」分娩開始とするとあるので、
このときがお産の始まりになるのだろう。
その後、陣痛が6分間隔で30秒ほど続くようになったが、それ以上の変化はなく、ぼくたちはウトウトしながら朝を迎えた。

朝の8時、ぼくはお風呂の準備をした。

いつでもお風呂に入れるようにしておきたかったし、お湯は長くおけばおくほど「まろやか」になるらしい。
ぼくたちはいざとなればお風呂の中で出産を迎えようと考えていたので、お風呂の準備は重要だった。
我が家のお風呂は浴槽に蛇口からお湯と水を入れるだけの単純なもので、保温も追い炊きもできない。
だが、その単純さこそがありがたかった。掃除がしやすいからだ。
浴槽と浴室は昨日のうちに念入りに洗ってアルコールで消毒してあった。

温度の設定や保温ができないので、とりあえず最高温度のお湯を浴槽に溜めると温度は55度になった。
蓋をして熱の逃げを押さえれば、かなりの間適温を維持できそうだった。
それから、ぼくはお湯に天然塩1.5kgを放り込んだ。お湯を舐めると海ほどではないが塩っぱかった。
塩素を無害化するためにアスコルビン酸(ビタミンC原末)を1g、不純物を取り除くための備長炭も2ネット入れた。

それから、飲み物を確認する。
ぼくたちが用意した飲み物は三種類だった。
まずは「三年番茶」。無農薬番茶を三年熟成させたという素朴なお茶だ。
次に「梅醤番茶」。梅干しを潰して、おろしたショウガと醤油を混ぜて練り、三年番茶を注いで作るしょっぱい飲み物だ。
日本に古くからあり、お産や病気のときに飲む人は多いらしい。梅干しは母が作ったものを使っている。
最後は甘い物。和歌山の自生の梅の実を氷砂糖に漬けて作ったシロップをお湯で割る「自家製梅ドリンク」。
この三種類の飲み物のポイントは、すっきり、しょっぱい、甘い、の三つの味があることだった。
長い肉体労働には、気分転換を与えてくれる味覚の変化は大切だし、糖分も塩分も適度に補う必要がある。
梅は活力を与えてくれる。ショウガは体を温めるし、粘膜の働きを助ける。
重要なのは、こうした飲み物がこれまでの日常で親しんだものであるということだと思う。
その日だけ特別なものを用意するより、馴染んだものがいい。
ぼくたちが自分たちだけで自宅で産もうとしたのも、普段の生活の中でリラックスして待つことが何よりも大切だと思ったからだ。

それから、ぼくたちはお粥を食べた
小豆を混ぜて炊いた玄米とレンズ豆で作ったお粥だ。
これもぼくたちが毎日のように食べてきたもので、手軽で、消化がよく、栄養バランスがよく、馴染み深い。
この後もお産を通して、ぼくたちはチャンスがあれば手早くお粥を食べた。

食べること、飲むことはとても大切だと思う。
それこそがぼくたちのエネルギー源だし、精神的な影響も大きい。
病院で産むときは食事も与えられず点滴を受けることが多いらしい。
腸や膀胱にものが入るとお産の妨げになったり、漏らしたりすることがあるためらしい。
同時に点滴の管が投薬のための血管確保になっているそうだ。
ぼくたちは食べること飲むこと無くして自分たちの力が発揮できるとは思えなかったので、
自分たちが好きなものをいろいろと用意して楽しんだ。


     3 散歩・風呂・停滞 (誕生まで17時間)

昼頃になると50秒間くらい続くようになった痛みが約5分間隔で来るようになって、わずかな出血が続いていた。
お産は確実に進んでいた。美和はストレッチを始め、友人から励ましの電話があった。

15時に風呂のお湯の温度を計ってみると43度だった。お湯をためたときから10時間くらいは入浴適温を維持できそうだった。
陣痛に大きな変化が無いのでぼくたちは散歩に出た。
歩くことはお産の進行を促すと言われている。美和は陣痛がくると壁などに摑まって耐えながら、ゆっくりと進んだ。
公園で遊ぶ子どもたちを眺めて、木に触れた。
美和は、木に触れると落ち着き、力を感じるのだと言った。
ぼくもふだんは気に留めなかった公園に並ぶ木の一つひとつに性格や蓄えられた年月を感じ、それぞれが何かを語るように思えた。
お産が、その近くにいるぼくまでをも敏感にしていた。

外気に触れた散歩の後で陣痛は強まったようだったが、間隔は不規則になってしまった。
美和はお風呂に入ることにした。
この時17時半、お湯の温度は40度になっていた。
美和が入ると湯温は38.5度に下がった。
「気持ちいい。今までギューとしていた痛みが柔らかくなるの。」と美和は言った。
手間をかけて準備したかいがあったと嬉しかったが、お産が進行する様子は無かった。
浴槽から上がろうとすると「痛みがズーンと来る」ようになり、美和はお風呂から上がれなくなってしまった。

お風呂の準備で湯温を何度にすればいいのかは迷うところだろう。
何度がいいかは一概には言えない。
好みもあるし、人が浴槽に入ったとき湯温が大きく下がり、その程度は外気温やお湯の量でかなり差があるからだ。
ぼくは高温気味に準備して時間をおき、熱ければ水を足すという方法をとり、それでうまくいった。
塩を入れることでお湯は冷めにくくなり、体をよりあたためるようになるようだ。

美和はいつまでもお風呂に入っていて、お湯の中が楽だと繰り返すので、
ぼくはお風呂での出産になるだろうと考えて「出産ノート」をめくり水中で産む場合の箇所を読み返した。
けれどお風呂で産むということの詳細がはっきりとイメージできなかった。
とにかく赤ちゃんが出てきたらすべきことを順を追ってもう一度書き出していった。
頭が出たら顔を下に向けるように美和の体勢を調整し、肺の中の粘液が排出されているかを確認すること。
へその緒が首に絡んでいたら、慌てて引っ張らずに首とへその緒の間にそっと指を差し込んでゆるめること。
息をしなかったら、体をさすり、声をかけ、ダメなら冷水につけること。
それでもダメなら背中を叩き、まだダメなら人工呼吸、屈伸発啼・・・
果たして本当に生まれた赤ちゃんが動かなかったら、ぼくは一人で蘇生させることができるのだろうか。
新しい命が危険に晒され、ぼくが何もできないとき、ぼくは救急車を呼ぶのだろうか。
様々な思いが押し寄せ、ぼくは誕生のときが迫っていることを認め、緊張した。
自分ひとりに二つの命がかかっている。もうそのときが迫っている。

突然、美和がお風呂から上がってきた。
もう待ちくたびれたという感じだったので、ぼくの緊張は和らいだ。
陣痛が遠のいてしまったようだった。
陸上では痛みが強くなって苦しそうだったが、お産の場所に考えている一階の広間で様子を見ることにした。

「お風呂の中だと陣痛の最中でも体が動かせて、姿勢を好きなように変えられて、とても楽だったわ。
 水の中だと冷静でいられて、眼も開けていられる。
 陸上だと痛みでパニックみたいになって、どうしていいか分からなくなってしまうの。不思議ね。」
と、美和が言った。
あらゆる生物は海から生まれた、その遠い記憶を体内に抱えているのだろうか。

遠のいた陣痛の隙にまたお粥を食べ、横になった。
美和のおなかをなでるとその奥で赤ちゃんがぐるぐると回っていた。
出産直前になると赤ちゃんの頭は骨盤にはまり込み動きが少なくなると読んだが、
ぼくたちの赤ちゃんはまだおなかの中で遊んでいたいのだろうか。



     4 高まり (誕生まで5時間)

しばらく眠ってしまったぼくは、もう一度お風呂に入りたいという美和に起こされた。
夜中の0時だった。
陣痛が始まって丸一日が過ぎたことになる。
美和は強まる痛みに耐えかねたのだろう。
お風呂にお湯と塩を足して、美和が入るとぼくは浴室の扉の外でストップウオッチを押して陣痛と間隔を計り、記録をとり続けた。
陣痛は確実に強くなっているようで、美和はフーフーと声を上げはじめた。
50秒の陣痛が4〜5分おきにやってきていた。

ぼくは中に入って美和の体をさすってやろうとしたが「触らないで。」と止められた。
気が散るのだろう。寂しい気持ちでぼくは飲み物を用意して、浴室の外から様子を見守ることにした。
「来た。」と美和が陣痛の開始を告げると、ぼくはストップウオッチを押し、
「終わった。」と終わりを告げると、ぼくは陣痛の長さを書き留め、同時に陣痛の間隔を計り始め、ということを延々と繰り返した。

美和の声は次第に激しくなり切迫していく。
これが果てしなく続くようだった。
美和は浴槽に縁にしがみついて痛みに耐え、番茶をよく飲んだ。

3時を過ぎた頃、ほぼ3分おきに1分を越える陣痛が来るようになった。
痛みはますます激しくなり、美和はもはや言葉を出せなくなってしまった。
けれど、陣痛の始まりと終わりは喘ぎ声からはっきりと伝わってきたので、もう言葉はいらなかった。
ぼくは浴室の照明を落とし、扉の外で美和の痛みに耐える声を聞きながら、その時間を計り続けた。
このとき痛みと痛みの間で美和は夢を見ていたのだそうだ。
脈絡の無い夢を見ては痛みで眼を覚まして、痛みが引くとまた夢の中に、と繰り返していたと後で語った。
ぼくは、もう生まれるぞ、必要なものは全部揃っているのか?と頭の中で繰り返した。
しかし、飲み物とタオル以外に必要なものは思い当たらなかった。

4時頃、美和が塩を足してくれというので3握り投げ込んだ。
美和の声はもう泣き声になっていた。
塩を足して何かが変わるのだろうか。藁にもすがる気持ちなのかもしれない。
もはや痛みは途切れること無く続いていて、痛みの中に大きな痛みの波がやってきているのだった。
大きな痛みは1〜2分間隔でやってきて1分以上続いていた。

やがて美和の声はさらに荒く、叫びのようになり、ぼくはもはや待っているときではないと感じた。
上着を脱いで浴室に入ると美和がしがみついてきた。
お風呂の中に美和が膝で立って、浴槽の縁を挟んでぼくは向かい合って腕と肩を抱き、頭を擦り合わせるようにして抱き合っていた。
このときぼくの体の匂いをかいで安心した、と美和は後に語った。
ぼくはすぐにずぶ濡れになったが、やっと美和に触れ、少しでも頼られることが嬉しかった。
美和の顔には汗の玉が吹き出していて喉が渇くようで、痛みが引くといつも番茶を飲んだ。
やかんの番茶はもう残りが少なくなっていた。
お茶がなくなったら困るな、と思いお湯を沸かしに外へ出ようと体を離そうとすると、美和が「行かないで。」とぼくを見た。
もう、この場を片時も離れてはならないのだと、ぼくは感じた。もうすぐそこまできているのだった。
美和が叫びをあげるたびにぼくはその耳元で「オーム」を繰り返した。
それはインドの真言の最初の一語で宇宙の始まりの音、平安の響きだった。他に何も思いつかなかった。
ぼくは自分自身の祈りの言葉を持っていなかった。それでも、ぼくは黙って見ていることはできなかった。
苦しむ美和を助けるために何かをすることが必要だった。
美和は大声で叫び通していて、ぼくの声は美和の耳に入っていないようだった。
それでも痛みに耐えている美和を前に何一つできないぼくを救うためにこそ、その行為が必要だったのだと思う。


     5 誕生 

後で経過を振り返ってみると、美和がぼくにしがみついて泣き叫んでいたのは、一時間ほどだったようだ。
 
突然、美和がぼくを見て「もうすぐ出てくる。だいじょうぶ。」と言った。
眼に確信がこもっていた。
まるで、一瞬、正気が戻ったかのようだった。
その体の中でなにが起こっているのか、ぼくには分からなかった。
いつも穏やかな美和は、別人のように毅然としていて、ぼくはハッとした。

それから何度か陣痛が来た後で美和が股に手を入れて「頭が出てきた。」と嬉しそうに言った。
まだ卵膜に包まれたままの頭だと言う。
すぐに頭が引っ込み、もう一度出てきた、卵膜が破れている、と言った。
破水したのだった。
 
ぼくはその頭をみようと美和の股に目を凝らしたが、暗いお風呂の底を見通すことはできなかった。
顔が出た時点でぼくは、へその緒が首に巻き付いていないか、鼻や口から粘液が排出されているか、
母体に異常はないかなどを確認し、必要なら会陰の保護をなどするはずだった。
しかし、実際は何の手出しもできず、ぼくはただ美和を支え、その実況を聞いているだけだった。

そして、美和が「出た!」と叫んだ。
風呂の底に白っぽい袋のようなものがいた。
それが、ぼくたちの赤ちゃんだった。
ぼくは手を伸ばし、そーっと引き上げた。
ブヨブヨでぐったりとしているようだった。

お湯から引き上げると急に泣きはじめた。
仰向けにすると腕を広げ、口を大きく開き、天に向かって泣いた。
寒そうにガタガタと震えながら、泣いていた。
赤ちゃんが泣く姿はかわいそうだった。
暖めようとお湯に戻すと、そいつは泣き止み、眼をぱちっと開け、ぼくと美和と浴室を眺めた。

穏やかに、ぼんやりと、お湯に浮びながら周囲を見ていた。
あまりに柔らかく、あまりにも軽いので、ぼくは自分の手で赤ちゃんを支えていることを忘れた。
目尻が下がっていて、くりっとした眼のほとんどが黒目で、まるで小犬のようだった。
口も耳も鼻もすべてが信じられないような小ささで揃っていた。その小ささに完璧を感じた。
髪の毛はずいぶん長くて縮れていた。
腕や背中、お尻、そして耳の裏にはびっしりと毛が生えていて、これまた犬のように思えた。
胸は小さく、おなかが異様なくらいに大きく、息を吸うたびに、カエルのように膨らむのだった。
穏やかにたくましい姿だった。

おなかからへその緒が伸びていた。
それは螺旋状にねじれ、わずかに透き通る白に細かな内から輝くような緑が浮いていて、ぬるりとして、
まるで両生類の皮膚のような不思議な質感を帯びていた。
生まれたてのこの子は、今まさに水中生活から肺呼吸へと切り替わりつつあった。
へその緒はその変態の様子を象徴しているようにも思えた。

そしてへその緒は、美和の中へとつながっていた。
プーッ、プーッと膨らむおなかから生えて、暗い股の中に続くへその緒は、とても人間の一部には思えなかった。

へその緒の下には性器があった。
女だった。
おちんちんがない、というのではなく、おなか並みに異様なくらい膨らんだソラマメのような女性器がそこに立派にあった。
男でも女でも生まれたては性器が膨張しているものだと読んだことを思い出した。
女の子だよ。と美和に告げた。
ぼくたちはそのとき初めてこの子の性別を知ったのだが、妊娠の初期から何となく女の子だと感じていた。
だから美和も嬉しそうだった。

その子の皮膚には灰色のどろっとしたものが付いていて、さするとお湯に溶けていった。
胎脂だろう。
お風呂のお湯は、胎脂や血や、よく分からないもので濁っていたが、
すべて母親から出たものだろうから感染の心配は少ないだろうと思った。
赤ちゃんはお湯の中で気持ち良さそうにしていた。

誕生は朝の5時半くらい、朝日が昇るころだった。

     6 誕生の後

赤ちゃんを美和の胸に近づけてみた。
体温であたためながらおっぱいを吸わせてみたかった。
赤ちゃんがおっぱいを吸うことで、胎盤の娩出が促されるというからだ。
しかし、この子は乳首に反応しなかった。
グニャグニャとしていてちょっとでも気を抜くとぼくたちの手からこぼれ落ちていきそうだった。

ぼくはこのままお湯の中にふたりをおいていいものかわからなかったが、
美和は体が痛くて動くことができなさそうだったので、もう少しお湯の中で待ってみることにした。
ぼくはときどきお湯を足してぬるくならないようにしながら、見守った。

30分ほど経っても胎盤は出てこなかった。
美和は尾骨が浴槽の堅い底に触れると痛むようで、お尻を浮かしておかねばならず辛そうだった。
赤ちゃんは、深く浸け過ぎるとお湯を飲んでしまいそうだし、浅過ぎると寒がった。
二人が快適な状態を維持するのは困難で、すぐにでも休息が必要に思えたので、お風呂を出て移動することにした。
お産の場所に考えていた広間には暖房を入れ布団を用意してあった。
へその緒の拍動は止まって輝きが消えていたが、胎盤が出るまでは切断すべきではないと思い、つながったまま移動することにした。

赤ちゃんにタオルを巻くだけでも大変だった。
へその緒は短く、すぐに伸び切ってしまい、いつも引っ張らないように気をつけなければならなかった。
やっとのことで美和が立ち上がると、股から破れた卵膜がぶら下がり、大量の血がもも、すね、かかとを伝って地に流れていた。
ぼくはその量にぎょっとしたが、驚きを隠してタオルをとった。
血は拭いても拭いても出てきたので、仕方なく血を滴らせたまま家を横断することにした。
キッチンや廊下に、血が続いた。広間の布団の上にビニールシートとバスタオルを敷き、その上に美和を横たえた。
辺りは血だらけだった。
赤ちゃんを近くのタオルの上に横たえたが、
寒そうに震え、布団の傾斜に沿って低い方へずるずると落ちていくので手を離すことができなかった。
それでも美和は一息つくことができ、胎盤を出そうとたらいにまたがった。
通常は大した抵抗も無くつるりと出てくるそうだが、美和の場合はすぐに出てこず苦しそうだった。
胎盤の一部が膣口に見えてからもしばらく時間がかかった。
やっとのことでズルリと大量の血とともに胎盤が出てきて、たらいが溢れそうになった。
たらいをひっくり返してしまったら血の海になると、気が気ではなかったが、
とにかく美和が胎盤と赤ちゃんから解放されたので、もう一度血を拭き、寝かせて布団をかけた。
胎盤を広げて観察するとやや灰色を帯びたその膜が破れて中のレバーのような暗赤色の組織が外に出ていた。
出血のほとんどは胎盤からのものだったのかと安心したが、胎盤が完全な形で出てこなかったことに不安を感じた。
この時、美和をもう一度立ち上がらせて、いきみませ子宮内に残った胎盤の欠片の娩出を試みるべきだったのかもしれない。
しかし、やっと横になれた美和を立ち上がらせようとは思えなかった。
赤ちゃんの誕生から胎盤が出るまで約50分がかかっていた。

胎盤のたらいには、なみなみと血が満たされていて匂いもあったので、ぼくはへその緒を切ることにした。
へその緒は、今やずいぶんと萎んでいた。
凧糸で2カ所を縛ってからハサミで切断し、赤ちゃん側のへその緒を丸めておなかに寄せて包帯で留めた。
切り口からとろりと血がこぼれた。
ついに母の肉体から自由になった赤ちゃんを美和の上にのせ、おっぱいを近づけると、乳首を吸い始めた。
力強いとはいえない慣れない様子ではあったけど、活動を開始したという感じがした。

ぼくは、やっと落ち着いて記録をとった。
赤ちゃんの心拍数は128/分、美和の心拍数は60/分、赤ちゃんの体重は3030g、胎盤の重量は990gだった。
美和はお粥とバナナを食べ、赤ちゃんとともに眠りについた。
ぼくは風呂を洗って家中の血を拭き取った。浴槽の中には血や膜といっしょに、緑黒の胎便や赤ちゃんの髪の毛も沈んでいた。
裏庭で血まみれのタオルを洗いながらぼくは、誰かに見られたら通報されるんじゃないかと思った。
大きなバスタオルはいくら洗っても血が滲み出てきた。胎盤は写真を撮って、タッパーに入れて冷凍した。
 
空が明るくなって、いつもと変わらない一日が穏やかに始まっていた。

しかし、うちにはまだ誰もその存在を知らないぼくたちの子が眠っていた。